NHKの朝ドラ「朝が来た」が始まりました。
主要登場人物である、五代友厚(ごだいともあつ)を演じるのがディーン・フジオカさんです。
もし、史実どおりなら今後、五代友厚(ディーン・フジオカ)どうなっていくのか、家族やお墓なども調べてみました。
まったくの予備知識なしで、ドラマを楽しみたい方は、この先読まないでください(笑)
NHK朝ドラマ「朝が来た」
NHK朝ドラマ「朝が来た」で重要な役になりそうな五代友厚。
私も知らなかったのですが、薩摩藩士であり実業家でもあった実在の人物で、後に近代大阪経済の父と呼ばれた人物だそうです。
番組の製作統括の佐野元彦氏は、
もちろん広岡浅子さんに注目しましたが、それとは別に魅了されたのが五代友厚さんという人物でした。
いかに私利私欲なく、みんなの暮らしが豊かになるために大きなビジョンを持って生き、道半ばにして無念な思いのまま亡くなっていったのか・・・
その姿に深く感動して、どうしても描きたいと思ったのです。
とインタビューで語っています。
このコメントからも、かなり五代友厚(ディーン・フジオカ)がキーパーソンとして描かれるのは間違いなさそうです。
正直な所、イマイチ知られていない人物ですが、ディーン・フジオカさんが演じる事で「五代友厚」の人気が上がるのは間違いないと思います。
五代友厚ブーム?も起きるかも知れませんよ。
五代友厚(ごだいともあつ)は史実ではこうなる!
五代友厚(ディーン・フジオカ)が、果たしてドラマの展開も史実通りに進むのかは、わかりませんが、史実どおりの展開ならどうなるかを調べてみました。
五代友厚(ディーン・フジオカ)は、1836年2月12日記録奉行だった五代直左衛門秀尭の次男として薩摩国鹿児島城下で生ました。
1857年に長崎の海軍伝習所に入所して、オランダ士官から航海術を学んでいます。
この頃にあの勝海舟と出会っています。
もしかしたら坂本龍馬とも・・・
1862年に上海に渡り汽船を購入。船長になります。
この頃にあの高杉晋作とも会っています。
1863年、薩英戦争でイギリス軍の捕虜となり、諸外国の圧倒的強さを知ります。
五代友厚(ディーン・フジオカ)が開国論者になった決定的な出来事です。
1865年にはグラバーの仲介でイギリス、フランス、ドイツ、オランダをまわりました。
帰国後は薩摩藩の通称貿易にあたっていました。
その後、薩長同盟にも関わっています。
幕府が倒れ、明治になってからは、参与職外国事務掛、外国事務局判事、外国権判事、大阪府権判事、初代大阪税関長、大阪府判事と要職を歴任しています。
政界を退いてからは、半田銀山をはじめ、
朝陽館(染料の藍の製造工場)を設立
堂島米商会所を設立
大阪株式取引所(現・大阪取引所)を設立
大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立
大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設
大阪青銅会社(住友金属工業)を設立
関西貿易社を設立
共同運輸会社を設立
神戸桟橋会社設立 (川崎汽船K-LINE)の設立
大阪商船(旧・大阪商船三井船舶→現・商船三井)が開業
大阪堺鉄道(南海鉄道)を設立
などなど八面六臂の活躍をしています。
まさに「近代大阪経済の父」ですね。
どうしてこんなに凄い人物が、今までスポットライトを浴びてこなかったのか不思議でなりません。
私の記憶では学校の歴史や社会の授業で「五代友厚」の名を聞いたことが無かったと思います。
このドラマ如何では、今後教科書に載るような事もあるかもしれませんね。
五代友厚は1885年9月26日、糖尿病により、東京の自邸で亡くなっています。
49歳の若さでした。
五代友厚のお墓は、大坂の阿倍野区の阿倍野筋4-19にある大阪市設南霊園にあります。
五代友厚の「あさが来た」での関わりと家族
史実では「あさが来た」の主人公である広岡浅子と五代友厚との関わりは不透明のようです。
しかし、年齢差は13歳ですから、十分接点も考えられます。
「あさが来た」の前半、起業家としての広岡浅子(波瑠)に大きな影響を五代友厚(ディーン・フジオカ)は与えそうですね。
当時は国際派であった五代友厚を、海外で活躍していたディーン・フジオカさんが演じるのもピッタリだと思います。
ドラマの後半は実業家というより、教育者としての広岡浅子(波瑠)が描かれそうですから、五代友厚(ディーン・フジオカ)の出番は減るかもしれません。
ただ、亡くなるのは五代友厚(ディーン・フジオカ)が先なので、もしかしたらソコが後半の目玉のひとつになるかもしれません。
年老いたディーン・フジオカさんは想像もつきませんが(笑)・・・
ちなみに史実では、五代友厚は1867年に坂本広子という女性と結婚しています。
広岡浅子(波瑠)とどうこうなんて期待している方もいるかもしれませんが、それはありません。
その後娘、治子(のち松子)が生まれますが、妻の坂本広子さんとは離婚しています。
1870年に豊子さんと再婚。
長女 – 五代武子
次女 – 五代藍子
三女 – 土居芳子
四女 – 杉村久子
長男 – 秀夫
次男 – 友太郎
との記録が残っています。
五代友厚の銅像は、大阪証券取引所と鹿児島県鹿児島市泉公園にあります。
知らないだけで、とにかく凄い人だったんですね。五代友厚は・・・
※ディーン・フジオカさんのプロフィール記事もあります。
「あさが来た」の主人公広岡浅子の記事もあります。
「あさが来た」成澤泉(瀬戸康史)の記事もあります。