谷部金次郎さんは、昭和天皇の料理番として知られる料理人です。
そんな、谷部金次郎さんの経歴、皇室の食事、家族や年収について調べました。
谷部金次郎プロフィール
谷部金次郎
1946年7月生まれ 埼玉県本庄市出身
中学卒業後、超高級料亭「日銀クラブ」で修行
1964年、宮内庁大膳課厨房第一係奉職
1989年、退官
現在、大阪青山短期大学特別講師
谷部金次郎さんが天皇の料理番になったきっかけは、谷部金次郎さんが修行していた「日銀クラブ」という料亭が、毎年暮れに宮内庁の新年祝賀会のお手伝いをしていた縁でした。
たまたま宮内庁の大膳課に欠員が出て、面接を受けたそうです。
大膳課とは、天皇陛下の普段のお食事を作る部署です。
厨房第一係(和食担当)
厨房第二係(洋食担当)
厨房第三係(和菓子担当)
厨房第四係(パン担当)
厨房第五係(東宮御所担当)
谷部金次郎さんは、厨房第一係の和食担当になりました。
ちなみに、この時に谷部金次郎さんを面接をしたのが、かの有名な元祖天皇の料理番である秋山徳蔵さんだそうです。
秋山徳蔵さんの話は、現在佐藤健さん主演のドラマで放映されていますね。
谷部金次郎さんが採用されたのが17歳の時でした。
ここから26年間、谷部金次郎さんは天皇の料理番として腕をふるうのです。
谷部金次郎の皇室料理
おそらく誰でもが天皇陛下の食事はさぞ豪華なのだろうと思うはずです。
しかし実際は普通の家の食卓と変わりないそうです。
昭和天皇は基本的に、朝食はオートミールやパンなどの洋食を召し上がり、昼と夜は和食と洋食を交互に召し上がっていました。
また、朝食は8時半、昼食は正午、夕食は午後6時と規則正しい。
そもそも天皇家には、食べ物を全て使い切る「一物全体食」の考えがあるそうで、同じ料理内容にならないよう、味付けや調理方法に工夫がされているそうです。
そして、天皇家が日常の生活の中で召し上がる肉類、野菜類等の食材は、すべて栃木県にある専用の「御料牧場」で出来たものだそうです。
ココが一般家庭と違うところでしょうか。
そして意外な事に谷部金次郎さんは、昭和天皇とは一度しかお目にかかった事がないそうです。
この日、陛下の穏やかながら威厳のあるお姿に接し、自分はなんと小さい存在なんだと圧倒されそうになったのです。
生涯この方おひとりのためにお仕えしようと誓ったのはこの時です。
その言葉どおり、谷部金次郎さんは昭和天皇崩御後に退官しています。
この時、谷部金次郎さんは、まだ40過ぎの働き盛りでした。
奥さんと当時5歳と3歳の子供、そして家は買ったばかりでローンも残っていたそうです。もちろん次の職も決まらないうちに・・・
それでもキッパリと退官された谷部金次郎さん、かっこいいです!
自分がお仕えするのは、昭和天皇おひとりのみの信念を貫いています!!
なんか昔の戦国武将のようで、そういった生き方に私は憧れます・・・
谷部金次郎の年収
谷部金次郎さんが料理番の時は、国家公務員という立場でした。
その中でも「特殊業務公務員」と呼ばれるものだそうです。
宮内庁の一般職員で年収380万円ほどだそうですが、料理人は手取りで22万円ほど。
しかし、料理番ともなればもっとおおいはずです。
おそらく年収600万円はあったと思います(あくまでも推測ですが・・・)
退官された谷部金次郎さんの現在は、テレビ番組や自宅、大学などで料理を教えています。書籍も出していますね。
少し前まではご自宅でも料理教室をやっていましたが、現在は開催していないようですね。
なんと言っても「天皇の料理番」の肩書は強いです。
おそらく今の方が年収は多いと思います。
今後、谷部金次郎さんは、陛下から学んだ思いやりの心を多くの人に伝える事が自分の使命だとおっしゃっています。
陛下は、思いやりに溢れたお方でした。
例えば人から物をいただかれた時には、贈り主の心を無駄にしないような扱い方をなさり、常に相手の立場に立ってものごとをお考えになっていました。お食事に関してもご自身のお言葉の影響力を分かっていらっしゃったので、食べたい物もお言葉にはされませんでした。
しかし、おいしい時は必ず「おいしかった」と伝えてくださり、一度箸をつけた料理は残さずきちんとお召し上がりになるなど、
私たち料理人にも細かい心配りをされていました。
今度私は、昭和天皇について調べてみたくなりました。