奥島透(おくしまとおる)さんは、天草エアラインの会長です。
奥島透さんが社長就任後、天草エアラインは、めざましい成長を遂げています。
そんな、奥島透さんのプロフィール、大学と経歴を調べました。
奥島透のプロフィール
奥島透(おくしまとおる)
1948年生まれ 京都出身
京大大学院(修士課程)卒
日本航空入社
ジャカルタ駐在 日本航空熊本支店長
整備本部副本部長(兼)成田整備事業部長
(株)JAL航空機整備成田社長
2007年JALグループ退職
2009年より天草エアライン(株)社長
現在、会長職
奥島透さんは一貫して航空マンでした。
日本航空入社当初は、整備士として約8年間現場を経験しています。
パイロットといった花形ではなく、いわゆる「縁の下の力持ち」です。
(株)JAL航空機整備成田社長として退職するまで、現場一筋の実績の持ち主です。
この経験が、買われて2009年より天草エアラインの社長に就任しました。
奥島透の天草エアラインとは?
「天草エアライン」は、熊本県を拠点とする第三セクターのコミューター航空会社です。所有する航空機はたったの1機。
それもDHC8-100型という客席数39席のプロペラ機です。
毎日、福岡―天草(1日3往復)、熊本―天草(1日1往復)、熊本―大阪・伊丹(1日1往復)の3路線を運航している、日本で定期便を運航する中で一番小さい航空会社なのです。
全社員56名(うちパイロット8名、客室乗務員5名)は、さまざまな業務を兼務します。
空港のグランドスタッフはカウンター業務、預け手荷物の運搬やお客様への引き渡し業務、それ以外の時間帯は予約センターの電話応対などの業務を行っています。
それぞれの所属する部署を越えて業務を助け合うようになっているんですね。
たった1機で毎日10回ものフライトをこなす航空会社なんて、私は聞いたことがありません。チームワークの成せるワザですね。
社員さんも「社員の発想を積極的に採用してくれる社風がある」
と話しているそうですから、遣り甲斐もあってますます頑張れますよね。
奥島透の改革
奥島透さんが社長に就任する前は、天草エアラインは赤字続きの第三セクターでした。
おりしも就任した年は、リーマンショックの翌年で地域航空会社はどこも厳しい経営を迫られていた時で、奥島透さんも相当なプレッシャーだったはずです。
よく社長を受けたと思います。
奥島透さんが、まず始めたのは、
個室だった社長室の壁を取り壊し、ほかの社員と机を並べ、社員と積極的に会話する環境を整えた。
さらに、社長や管理職を含めた社員総出で1機しかない大切な飛行機の洗浄を始めた。
「これが社員の一体感につながった」と語っています。
また、社内改革や地域貢献の取り組み、さまざまなイベントを仕掛けるなど、地道な努力を続けました。
2013年度の旅客収入は6億4283万円で、前年度に比べ1割強の増収となっています。
何よりも、5期連続の単年度黒字は、目を見張るモノがありますね。
たった1機で、搭乗者数100万人を達成したのは驚きです。
収入よりも『こんなことをしている航空会社があるのか』ということが航空ファンのみならず、巷の人達の記憶に残ることで、天草エアラインや天草の知名度が広がればいいと考えている
奥島透さんの基本姿勢です。
異業種でも参考になる天草エアライン
奥島透さんの天草エアラインは、弱者なりの戦い方を示していて、他の異業種でも参考になります。
小さいからこその、
・客室乗務員との交流
(客室乗務員の顔写真付きのプロフィール紹介があるらしいです)
・機体デザインコンテスト(イルカの機体目当ての客もいるとか)
・客室乗務員が作った観光案内、
・名所、グルメなどとの観光資源とのコラボ、
・機内サービスについても利用者から募集、
・天草空港では、奥島透社長も乗客をお出迎えなどなど・・・
大手航空会社では出来ないコトで差別化をしていますね。
とにかくお客と航空会社の距離が近いです。
リピーターが多いのもうなずけます。
現在は、奥島透さんは社長を退任し、会長職になりましたが、積極的にアイディアで参加していくそうです。
なんか、イルカちゃんに乗りたくなってきましたね。