タマネギ頭の黒柳徹子さんを知らない人はいないですよね?
御年83歳!
長年テレビでご活躍されている大御所ですが、意外でとても面白い伝説が数々あります。
黒柳徹子の伝説逸話!昔の若い頃から今現在までの秘密を紹介します。
黒柳徹子のふしぎ~発見!!
黒柳徹子の逸話その1 雑誌「an・an」の名付け親!
雑誌編集者と黒柳徹子さんの対談の際、ハイセンスな徹子さんに何かおしゃれな物はないかと相談したそうです。
そこで、徹子さんが「パンダのアンアン」の話をしたところ雑誌「an・an」が誕生したんです!
1970年創刊号には表紙にパンダの絵、2017年の現在でも背表紙の上部にはパンダの絵が存在しています!
買っていたことがある私も全く知らなかった!
黒柳徹子さんは、「日本パンダ保護協会」の名誉会長を務めています。
パンダを初めて見たのは34歳の時ロンドンで、「チチ」という名のメスのパンダでした。
とっても可愛くて大好きになったのだとか。
その時に、モスクワからパンダのお見合いとして着ていたオスのパンダが「アンアン」だったんです!
女性雑誌だけどオスなんですね~
確かに雑誌の名前なら「アンアン」がおしゃれですね!
黒柳徹子の逸話その2 日本初のNHKテレビ女優
実は黒柳徹子さん、最初から女優やタレントを目指して業界に入ってきた訳ではなかったんです。
本当は、将来子供ができたら絵本の読み聞かせが上手なお母さんになりたかったのです。
ある日、黒柳徹子さんはお母さんに「どこかで読み聞かせを教えてくれるところはないかしら?」と話したところ、
「新聞に載ってるんじゃない?」と言われ、開いた新聞にドーン!とNHKで女優を募集する広告が載っていたんですね。
ココなら教えてくれるかも!?と思った徹子さんは応募し、何千人の応募者の中から受かったテレビ女優第一号となりました!
人生何がきっかけになるか分かりませんね!
当時の放送は、すべて生放送!セリフ間違えなんて当たり前だったそうです。
ドラマ番組終了も、「いい?終わり?終わり?」とカメラマンに聞いて、紙に書いた「おわり」を出していたそうな。
学芸会みたいで楽しそうな風景ですね。
黒柳徹子の逸話その3 小学一年生で学校をクビ!
黒柳徹子さんとても早口で注意散漫なお子様だったようで、学校の授業中、机の天板(開くタイプ)をずっとバタンバタンと開け閉めを繰り返したり。
チンドン屋さんを学校に読んできてしまったり・・・
鳥の巣に向かって「ねえ何してるの?何してるの?」と窓際でずっと話し続けている子でした。
注意をしても止まらない徹子さんを学校は「もう来ないでください」と言ったそうです。
その後、進学校から転向した学校で担任となった小林先生は、黒柳徹子さんのそんな部分を個性として伸ばしてくれる先生でした。
その学校でのエピソードを絵本にした「窓ぎわのトットちゃん」は単行本・文庫本累計800万部発行し、世界35か国で翻訳されて、「戦後最大のベストセラー」となっています。
黒柳徹子さんの早口なトークは、芸能界でも立派な個性を発揮していますよね!
ものまねもされたり、番組の司会者にもなっているのですから。
黒柳徹子の逸話その4 80代にしてインスタグラムの使い手!
黒柳徹子さんは、自分が映る以外の時は自身でスマホを使って写真を撮り、長文の紹介文を書いてアップしています!
うちの母でもガラケーなのに黒柳徹子さんの若々しさったら!
アプリを使いこなし、明暗の調整をしながらパシャパシャ。(たまに連続取りに笑)
40分写真を撮り続けました。
40分ですよ!?並みの集中力じゃない!
どこにそんな体力あるの?と思いますよね。
スクワット毎日50回もやっているんですって!
若くてもできませんよ、なかなか…。まさに脱帽です。
黒柳徹子さん83歳にして結婚もできたらしたいと考えているのだとか。
数々の黒柳徹子さんの逸話は、徹子さん自身の個性や旺盛な好奇心によって生まれてきた物かもしれませんね!
黒柳徹子さんの伝説は、これからも随時追記していきますので、こうご期待です!